米村でんじろうよりてれび博物館が好き

僕が小学生のころ、いつもは母親に起こされるまで眠っていたのに、日曜日だけは朝ひとりで起きてテレビを見ていた。
欠かさず見ていたのは「題名のない音楽会」と「てれび博物館」。
もう昔のことで、具体的な内容はほとんど覚えていないけれど、本当におもしろかった。


たとえば、僕がまだ覚えているのは、プリペアードピアノの演奏と日本のどこかの高速船についての回。あんなマニアックな内容で30分のテレビ番組を毎週作っていたことが、今では考えられない。
何年か前、久しぶりに見た「てれび博物館」には、あのおじさん(川津 祐介さん、初めて名前を知った)はもう居なかったし、内容も驚くほど無難で卑近だった。
そして先月、今度は「題名のない音楽会」を見たら、これもまた単なるおちゃらけたクラシック演奏会に変わってしまっていた。そして「てれび博物館」は無くなっていた。


別に最近のテレビはつまらなくなった、ということが言いたいわけじゃない(実際につまらないけれど、そんなあたりまえのことは恥ずかしくて書けない)。一見おもしろいというだけで、子供は何かに興味を持たないと思う、ということが言いたい。


テレビで理科系のことが扱われる場合には、たいてい米村でんじろう氏のような、おもしろ科学実験おじさん的な人が、家庭でもできるお手軽実験的なものを披露する程度で終わる。音楽の場合には、これを青島広志氏に置き換えれば良い。
確かに実験はおもしろいけれど、これでは大人は満足させられても、子供は満足しない。
大人は、自分の持っている知識で(あるいは自分が十分理解できる程度に簡単に)目の前の少し不思議な現象が解説されることに快感を覚えても、子供は、簡単に理解できるものに簡単に飽きる。


「でも子供たちはみんな実験を楽しんでいるじゃないか」と聞かれれば、「当然です」と答える。
いま書いたとおり、実験はおもしろいから。
ただ、子供はもう赤ん坊ではないので、多少飽きてきても、実験おじさんに気を遣って楽しむ振りをする。


残念ながら、子供は消化が早い。そして実験の背景にある科学の知見なんて知りもしないし、実験おじさんはそこまで教えてくれない。
実験という閉じた世界を飽きるまで堪能して、おしまい。
(仮にそこから科学に興味を持つような奇特な子供がいたとしたら、彼はそもそも実験おじさんが居なくても興味を持つ。)
この閉じた世界の外を見せるのが、テレビの役割でしょう。
この先、理系の道へ行くと決めるとき、テレビの影響があった人は多いと思う。
テレビまでもが、狭い世界でごちゃごちゃして満足している様子は、安心して見ていられない。


今、真に子供向けのテレビ番組は、ほぼ無いと僕は思う。
大人がイメージする、子供向け番組という、子供だましのものはたくさんあるけれど。
けれども、地上波のテレビ放送という手段は、限られたものにしか認められていないし、大きな影響力を持っている。
そのすべては大人だけでなく、子供のための番組を放送する義務があるんじゃないか。