Auto-Tuneに惑わされるな
Perfumeが広く知られるようになって、その特有のAuto-Tuneの使い方も広く一般的なものになったけれども、どうして中田ヤスタカのアレンジ等についてはもっと根本的なところが言及されないのだろう。
あのAuto-Tuneボイスは確かに目立つが、Perfumeはそれがために支持を受けているわけではない。ましてそれが飽きられることだけが原因でPerfumeが飽きられるということもない。あれは単なるエフェクトの一種だ。
中田ヤスタカのメロディアスなリズムとリズミカルなメロディによる作曲およびアレンジは、簡単に真似することができないからその音楽は支持を集めている。リズム楽器の音はメロディを構成する要素であるし、メロディ楽器の音がリズムを作っている。彼ひとりが楽曲に関するほぼ全てを管理しているから可能なことだと思う。
このことを文章で表現するのは難しくて、例えばYouTubeなりのリンクを貼っても説明できない。3:30〜3:35にあるスネアはメロディを補助していて、同時にここでギターは……と説明したとしても、音楽について時間を止めたり区切ったりして語った瞬間に、音楽的に欠かすことのできない感覚を失わせてしまう。
ここに最近よい例が出てきた。
iidaブランドのPLYのテレビCMに使われている曲がわかりやすい。
特にこの最初の2つの音が象徴的だと思う。