「分からない」って言えばいいのに

僕は地球科学とか環境については、ざっと勉強してきて、そういう立場からすると、世間で環境だとか地球温暖化だとかについてカジュアルに論じられることが、見ていて非常に腹立たしい。
これは、環境とはもっと崇高なものや、真剣に考えるべきものであるということではなく、その世間で語られる内容があまりにも的はずれで、感情的で、共感ドライブな感じが、どうも受け付けない。


ちょっと暑かったりするだけで「地球温暖化が……」とか、したり顔で話す人を見ると、腹が立つというより、彼がかわいそうになってくる。
本当は地球温暖化という用語も、全く不適切だし、環境問題はかなりブラックな国際政治とか経済や金融の範疇だと思うけど、彼にはそれが何も見えていない。僕も他人に話せるほどはよく知らない。
とりあえず「温暖化」という用語の網にかかりそうな現象を、全部そこへ丸め込んでしまっては、世界がつまらないものに見えたりしないんだろうか?
丸め込んで整理すれば、なんとなく理解できた気になって、満足してしまうのかな。


環境の話だけでなく、いろいろの分野でも似たように、とにかく単純で感情的に納得できるっぽい理屈に落とし込んでいくのは、面白みがないというか、空しい気分になりそうに思うんだけど、そうでもないんだろうか。
とかく今の世界は複雑だから、そうやって思考停止するのだと、自覚している様子にも見えない。


知らないことは「分からない」と言っておけば、より面白く生きられそうなんだけどなあ。
知らないという自覚すらないの?