後ろめたさは無いんだろうか

僕は新聞やテレビが伝えるニュースを、できることなら知りたくないんだけど、他人との話のタネに必要になることがあるから、いわゆる5大新聞の社説とコラムだけ読むようにしてる。その中でも朝日新聞毎日新聞のものはいつも表現が尊大だと感じる。どうしてそんなに大きな態度がとれるのだろうと思っていたけど、つい昨日おととい辺りに見た社説で分かった気がする。
教育基本法改正に関するタウンミーティングで、出席者にやらせ質問をさせていたそうだ。それについて上の新聞は社説で「腹が立つ」「民意をなめている」「多くの国民は今、あきれ果てていることだろう」と書いている。(勝手に民意や国民の感情を決めないでくれ。)この社説を読んだ僕は、新聞がやらせをどうこう言える立場じゃないだろう、と思った。サンゴの落書きを忘れたんだろうかと。
やらせ質問をさせた気持ちもわかる。「質問のある方はいらっしゃいますか」と聞いて誰も手を挙げない状況は、壇上の人たちにとっても聴衆にとってもつらい。ほとんどの人が「誰か手あげろよ」と思ってる。お笑い芸人がスベったときのような、会場が一瞬にして非常に気まずい、張り詰めた空気に包まれる。だからやらせ質問をさせてもいいという訳じゃないけど。
もし僕がこの社説を書くとしたら、もちろん自分自身がサンゴに落書きをしたんじゃないけど、それに触れないわけにはいかない。道義心とか正義とかでなく、やっぱり後ろめたいという感覚がある。それであんなに偉ぶった、尊大な表現と内容の社説を書けるということは、後ろめたさが無いんだろうとしか思えない。